げぇっ!
 って、声を上げそうになったのは数Iの授業が始まって3分後のことだった。
さっきの休み時間に教科書を返しに来た時の、アイツの様子がおかしかったのでなんかあるとは思ってたけど、まさか・・・こんなことだとはオレは思っちゃいなかった。

「 38ページ、設問4。 」



 シガポの指定するページを開けたら、妙にページの端っこが波打って凸凹してた。シミになっててさ。一目でわかった。原因は1つしか思い当たらねぇ。多分、それで間違えねーな。
 あの野郎、授業中寝てただけじゃなくて人の教科書に・・・涎まで垂らしやがったな!
 『阿部くん、ごめんなさい、ごめんなさい・・・』つってアイツが滅茶苦茶青い顔して謝ってたのも納得がいった。理由も言いにくいよな、コレじゃ。他人の教科書に涎垂らしちゃ青くもなろうってもんだ。
 顔色悪かったから体調悪いんじゃねぇかって心配したけど、そういうわけじゃなかったみてぇだな。
 腹立ちより、ほっとする気持ちのほうが強くって自分でも呆れた。なんだかな・・・。
 教科書の凸凹したシミをじっと見ながら、なんとなく手が動いてしまった。持ってたシャーペンを、置いてその凸凹したシミの痕を人差し指で辿った。
 紙の繊維が少し毛羽立っているのが分った。
 何度もその仕草を繰り返していて・・・はっとした。ちょっと、待て。オレってば変態じみてねぇ?
「じゃ、ここの問題・・・38ページの設問4ね。前回の授業の復習になるけど、解いてみよう。じゃあ、阿部!」
「っ?!」
 突然、シガポに名前を呼ばれてオレはガタンと机を蹴飛ばしてしまった。数人が、振り返ってオレを見た・・・うっ、くそ!
 ポーカーフェースってやつが作れずに、思わず顔に血が上る。
 すると、シガポがニヤニヤしながら言った。
「さっきの授業で、同じ問題を9組の三橋にあてたんだけど・・・三橋の即答した回答が面白かったよ」
 因みに、三橋は野球部で阿部とバッテリーを組んでいる投手だよ。
 なんて、シガポがクラスの奴に説明してるけどそんな補足はいらねぇっつーの!
「先生が三橋をさしたら、椅子を倒して飛び上がってこう言ったんだよ。『阿部くん、ごめんなさい!』いや、先生もびっくりしたよ」
 クラスの奴らが、笑った。水谷が斜め前の席で爆笑しているのが超ムカツク。花井は後ろの席でどんな顔をしているか見えないけどきっと、頭を抱えてるんだろう。
「まぁ、勿論その答えはホンキの解答じゃなかったんだけどね。三橋は口から涎垂らしてたから、寝ぼけてたんだろうね。阿部の夢でも見てたのかな?」
「?!」
 シガポがオレを見て、にっこりと笑った・・・もしかして、オレがさっき教科書のシミを撫でていたところを・・・見てた?
 クラスの奴らが暢気にあははと笑っている中で、オレは一人で今度は青くなって冷や汗をかいた。
「じゃ、阿部・・・この問題を解いてみようか?」
 シガポ・・・この教師も喰えない野郎だ。思わず、オレは苦い顔になった。
 それにしたって、とオレは舌打ちした。
 チクショウ、三橋の野郎・・・テメーのせいだぞ!放課後覚えとけよ、ゼッテー、ウメボシくれてやる!
 オレは、設問4の問題を必死で解きながら頭の隅ではずっとそんなことを考えていた。



*20××年初夏 1年7組の6時間目の数学Iの授業中の出来事。 

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