オレが黙ると、でもさ・・・とヤマさんは続けた。
「もう、その打順でグラウンドに立つことはないんだよね」
「あ・・・」
 オレは、言われて初めてそのことに気がついた。さっき、ヤマさんに「卒業するよ」と言われたばかりなのに・・・。
「次は、秋の新人戦。慎吾はいないよ」
 もうすぐ秋季地区大会が始まる。それなのに、オレはずっと夏のままだった・・・。
「・・・」
 慎吾さんは、いなくなるんだ。


AFTER BEAT 3


 ヤマさんが、何度も何度もオレに事実を突きつける。
 卒業まで、あと半年もないんだ。やっぱり、オレはわかってない。あの、夏大の時の打順が無意識に浮かんでくくるなんて・・・。
 桐青を卒業、するんだ。
 いつまでも、夏が続くような気がしていた。3年が引退したのは、わかっていたのに・・・オレの中ではずっと慎吾さんが3番だった。そして、ここぞという時には必ずオレをホームへ生還させる一打を打つと、そう・・・思い込んでた。疑いもせずに。
「迅」
 呼ばれてオレは、顔をのろのろと上げた。いつの間にか、下を向いていたらしい。
「決勝打は、慎吾が打ってくれるんだろ?それ、あながち間違ってないよ?」
「・・・ヤマ、さん?」
 オレには、わかんないです。わかんないけど・・・なんだろう。
「だって・・・このまま、終わりたくないだろ?あの試合は、ホームで刺されて終わったけど・・・慎吾とは、このまま終わりたくないだろ?」
 夏のことを言われて、どうしようもない気持ちがこみ上げてきた。ヤマさんが、オレを責めているのではないのはわかった。
 オレは、誰にもホームで刺されたことを謝っていない。
 情けなく泣き崩れてしまったオレを慰めてくれるヤツもいたけど、気持ちは有り難いって思うけど・・・その言葉はまるで的を外していた。
 慎吾さんだけが、そんな頑ななオレを受け止めてくれた。
 結局オレは、慎吾さんに甘えてしまっただけなんだ。
 慎吾さんは、オレの口から出てくるこんがらがった糸みたいな感情をただ黙って聞いてくれた。
 そして、慎吾さんは穏やかでいながら力強い眼差しで迷走するオレに道を示し、桐青野球部を引退していった。
 あの時から、オレの中で慎吾さんは特別な存在になった・・・と、思っていたけど。きっと、それ以前からずっと特別だったんだ。気になってた。
 だから、オレは慎吾さんにだけ泣き言を言ったんだろう。
 今にして思えば、よくわかる。当時は、興奮してしまってたからまったく理由(わけ)がわかんなかったけど・・・。
 あの、試合翌日の出来事を・・・思い出すとオレはどうしようもなく恥ずかしく、それでいて体のあちこちが疼いた。
 オレはどうしようもなく慎吾さんが・・・。
 いつも、オレはここで言葉に詰まる。オレは慎吾さんをすっげぇ慕わしく思ってんは間違えなんだけど、この想いにぴったりくる名前がつけられない。
 なんだろう、この気持ちは?
 焦るみたいな、不安みたいな・・・そんなものまで混じっている。
「夏は、終わったんだよ・・・」
 ヤマさんの目が、なにかを懐かしむように細められて。その中に・・・物悲しいような、やるせないような感情が一瞬浮かんだように見えた。
 そんなヤマさんをに胸がずきりと痛んだ。
 ヤマさんが、ひとつ瞬きをした。
 その瞬間に・・・ヤマさんの中にあったそれはたちまち消えてしまい、今、目の前に在るのはいつもの不思議な笑いだけだった。
「夏が終わっても・・・次に始まるものもあるんじゃない?今までと全く同じじゃいられないけど、違う形ではじまるものもある。違った形でも、それはまったく違うものじゃない。だからさ、迅・・・今終わりは、実は次のスタートの合図だったりするんだよ?」
 ヤマさんの言葉は、いつもオレには難しすぎる。まるで、謎掛けみたたい。でも、その言葉の中には必ず大切な何かが隠されていているような気がしてなんない。
 ざぁぁっと木々がざわめいた。 同時に鳥が飛び立つ羽音。
 ヤマさんのネクタイが翻る。
 そしてオレは、冬の前触れみたいな冷たい晩秋の風に吹かれてながら誰もいなくなった渡り廊下に立ち尽くしてた。
 そんな自分に、初めて気がついた。 
 聖堂の鐘が、鳴る。
 ひとつ、ふたつ・・・。
「もう、予鈴が鳴ったんだ・・・早いな。じゃ、オレは行くね、迅」
 桐青の時間は、全てこの聖堂にある鐘が知らせる。聞きなれた鐘なのに・・・まるで、初めて聞いた音みたいだった。
 ヤマさんは、戸惑いを隠せないオレの横をすり抜けて教室へ戻って行った。
 オレは、その後姿を見送りもせずに・・・ネガを抱きしめたまましばらくその場に動けずじっと立っていた。
 すれ違い様、小さく囁いたヤマさんの言葉が、鐘の音と溶け合いオレの中でリフレーンする。
『迅は、走ればいい。真っ直ぐ、ホーム目指して。しっかり、狙ってけよ?』
 それは、止まっていた季節がまた巡り始める合図みたいに・・・オレの胸に大きく響いた。
 急に寒さを感じて、肩を竦めてネガを両手で抱きしめると、どくん、どくんという心臓の音が、両手に伝わってきた。
 大きく、強く、鼓動している。
 ああ、これは。
「夏の余韻じゃ、ないんだ」
 

END
  

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