「キスしてあげようか」
って、慎吾さんが言った。
天 使 の 牙
オレは・・・正直なところ、なんて答えていいか分からなかった。
慎吾さんのことが好きで、その『好き』は他のヤツに感じる『好き』じゃなくて・・・特別な『好き』。
だけど・・・。
キス・・・なんてオレには雲の上、甲子園のはるか彼方の先にある言葉で。優しくて、甘くて、恥ずかしくて、遠いものだった、のに・・・。
真っ白な壁に軽く靠れかかりながら、右膝を立てて座った慎吾さんが穏やかに笑う。
しばらく見ていなかった顔。
慎吾さんが笑うとオレは無条件で嬉しくなる。あ、笑った!って。まるで、特別なものを見たかのように心が反応する。
「キスしてあげるよ」
慎吾さんとオレの距離は一歩か二歩というところ。遠いか近いかって問題じゃない。
今慎吾さんの方へ近寄るということは、キスをしてもらいに行くということなんだ。
「迅」
たった二文字の音が、この世のものとは思えないくらい、オレの耳に甘く響く。
「おいで、迅」
動かないオレに、慎吾さんが右手を差し伸べた。軽く曲げられた指先の綺麗さに、ぼうっとなった。
たった、それだけの動作にオレの足は勝手に動き出した。
オレを誘う右手、小指の第二関節にプラチナのリングが光っている。その輝き白刃になって、オレの胸に突き刺さる。
慎吾さんまでの一、二歩の距離を自分で埋めると、あとはあっという間だった。
あっという間にからめとられて、いつのまにやら慎吾さんの腕の中にいた。それを意識すると同時にこわばったオレの背中を摩る慎吾さんの手は暖かくて、優しくて・・・少しずつ力が抜けていく。
キス、するのだろうか。
唇と唇を寄せて、触れて、重ね合わせる?オレと、慎吾さんが?慎吾さんは、オレを好きでもないのにそんなことをするのか?
慎吾さんの手が、髪を撫でる。オレはうっとり溜息をついた。
その心の緩みに、慎吾さんはするりと入り込んでくる。
まるで、魔が差すみたいに。
慎吾さんの手が、オレの顎にかかってくっと上を向かせた。
「・・・」
あ、って言ったはずなのに、音は慎吾さんの唇を僅かに振動させて終わった。
オレと慎吾さん、キスしてる。
慎吾さんの柔らかくて、甘い唇はオレの脳みそを簡単に蕩かした。
唇に、羽根が触れているみたいだ。これが、キス。
閉じた瞼の裏に浮かんできたのは、学校の聖堂の壁に掛けられている古い絵画に描かれた、大きく翼を広げた微笑む大天使だった。
力が、抜けていく。
その途端に、瞼の裏の大天使が、突如表情を変え、その微笑んでいた唇に隠していた牙を剥いた。
「!」
ゆっくりとオレの唇を啄ばむ慎吾さんのキスが豹変した。
ずるり、と生暖かくぬめぬめしたものがオレの唇の隙間を割って入ってきた。
「ん!」
ぬめるものの進入を拒むみたいに反射的に歯をかみ合わせた。
その瞬間。
慎吾さんの唇の形が、変ったのを自分の頬で感じた。今、笑ったのかか・・・?
僅かに慎吾さんが動いたのを唇に感じた。
「〜〜〜!」
一瞬にしてぞわっと、総毛だった。
だって、慎吾さんが・・・オレの唇を舐め上げたんだ。その後、唇の裏側に、舌を差し込んだ。歯と歯の合わせ目をぞろりと辿られて・・・オレは歯を喰いしばって耐えていることができなくなって、頭を後ろに反らした。
でも、慎吾さんは許してくれなかった。
PREVIEW END
*5月3日の新刊のプレビューです。
詳しいことに関してはinfoをご覧頂くかメールでお問合せ下さいませ。
ここまでお読みいただき有難うございました!
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