アップの前に、必ず行われる西浦野球部定番といえば、体感瞑想。隣同士で手を繋いで、お互いの体温を分け合い、リラックスの状態を作り出すというメンタルトレーニング。
 今日の西広の右隣は志賀で、左隣が巣山だった。


DO ONE‘S BEST



 陸上部で中距離をやっていた西広が、高校に上がり一念発起し、野球部に入部した。部員が一年生だけだったから、部内でもなんとか馴染めそうだと思った。それでも、技術面では初心者は自分だけだったから、最初はすごく緊張していた。周りと差がありすぎるし、下手すると足を引っ張るかもしれない。初めは恐る恐るといった感じだったが、誰も初心者の西広を馬鹿にしたり、嫌がったりはしなかった。
 それどころか、皆とてもよくしてくれる。
 同じクラスの沖は、丁寧にフィールディングの基礎を教えてくれるし、捕手の阿部は細かなルールを教えてくれる。三橋と一緒にいる時は、ちょっと怖いけれど阿部は、西広の些細な質問にも丁寧に答えてくれた。野球のことを話す時、阿部はいつもより饒舌になる。きっと、すごく野球が好きなのだろう。阿部の相棒である三橋は、いつもおどおどしているけど、練習試合の時に外野から見たその1番をつけた背中は真っ直ぐに伸びていて、いつもが嘘みたいにかっこよかった。西広が守備練習時に送球が巧くできずに悩んでいたところに、スローイングのアドバイスをくれたのも三橋だった。三橋は、何度もどもりながらも一生懸命西広にお手本を見せてくれた。三橋のスローイングはとても正確で、まるで魔法みたいだった。三橋にアドバイスを受けてから後、コントロールが良くなったと監督に褒められた。西広は、三橋のこともとても尊敬している。
 尊敬しているといえば・・・今、左隣にいる巣山こそ西広にとって一番尊敬に値する選手だった。
 今、繋いでいる巣山の手。そこから続く二の腕や肩にはすごくみっしりとした筋肉がついている。
 肩や腕だけじゃなく、要所要所にきちんと筋肉が盛られている。勿論、まだ一年生なので、少年らしさは残っているが巣山の体は西浦の中で一番出来ている。
 巣山の隣に並ぶと西広はどうしても貧相に見える。西広は身長だって低くはないし、体重だって軽くはない。掌の大きさは巣山とほぼ同じだ。でも、体が薄っぺらいのだ。同じスポーツでも、陸上をしていた自分の体は、筋肉は下半身に、主に足に薄く、なだらかについているだけだった。だから肩や腕に厚みがなく、他の皆に比べてもやはり弱弱しく見える。
 以前に、巣山に体を鍛えてるのかと聞いたことがあった。巣山は、衒いもなく首を縦に振った。中学生の筋トレとか度が過ぎると良くないから、微調整しながらトレーニングしてると言っていた。プロテインなんかも色々試してみたりしているらしい。(だから、三橋と田島と阿部が飲むハメになったプロテインのことも知っていたんだろう)もともと、スポーツをするのに恵まれた体格をしていたのだけども、持って生まれた資質に甘えず、己をもくもくと磨いているところが凄い。巣山のあの体は、努力の成果としてあるものなのだろう。
 巣山と言う人は、騒がず、焦らず、黙って、事を成す。
 派手ではないけれど、与えられた仕事をきっちりとこなす信頼性の高いプレイヤーだ。
 巣山には手取り足取り教えてもらうことよりも、実はその背中から教えられることの方がずっと多かった。
 言葉は、決して多くないけれど・・・巣山はとても優しい。
「はい、終了!」
 志賀の声に、目を開けると両隣の手を放した。
そっと、巣山を見たつもりがばっちり目が合ってしまった。西広はばつが悪かったけれども、巣山の目は笑っていた。
 巣山が右手を軽く翳したので、意図を察した西広はその掌目掛けて軽く拳を突き出した。
 パン!
 と小気味いい音がして、巣山の大きな掌に西広の拳がおさまった。
 西広も笑って、巣山を見た。
 すると、巣山はその指を折り曲げてぎゅっと、西広の拳をつかんだ。
 暖かな手だった。
 自分の手の温度よりも、少しだけ高い。熱すぎても、冷たすぎても、居心地が悪いけれど巣山の手はとても気持ちいい。
 うっかり、手を握られたまま、ぼうっとしてましまった。
 手を握ってもらって気持ちよくなってしまったなんて、巣山に知られてしまったら恥ずかしい。
そう思ったら、一瞬にして顔が熱くなるのがわかった。
「ん・・・」
 赤面してしまったのを誤魔化すように、自分の手に力を入れた。
 その指の縛から逃れようと手を引いたり握った手を開こうとしたりするけれど、びくともしない。それどころか、更に強く握られた西広の手は痛いくらいだった。
 ほどこうとすればするほど、ぎゅっと強くされて・・・なんだかどぎまぎしてしまう。
「す、巣山・・・握力強いね・・・」
 瞑想が終わっても繋がっている手を見ていることが出来なくて、西広はちょっと俯いてしまう。
「この間測ったら、半年前に測った時より5kgくらい強くなってた」
 答えに、ちょっと驚いてしまう。
 ボールを握るのに、握力は重要だと西広は思っている。野球に握力は必要としないという説もあるが、西広はそうは思わない。実際やってみてわかったのは、握力がないと投げるボールのスピードが遅いのだ。リリースの瞬間、ボールをはじき出し、スピンをかけるために、やはり握力が必要だと思う。それに、握力が強いということはリストが強いということ。
「そんなに、上がったの?」
「西広だって、すぐにオレくらいの握力はつくよ」
「そうかな?」
「頑張れば、きっと」
「そうだね・・・!頑張るよ!それにしたって、ホント、すごいよね、巣山」
 西広が少し興奮気味に言うと、巣山はここ数ヶ月で精悍さを増した頬に苦い笑いを浮かべた。
「ボール、握り損なって・・・苦い思いしたからな」
 そして、次の瞬間に真剣な目をして、まるで独り言のように「もっと、頑張んねーと」と、ぽつりと呟いた。
 西広は、左の手で練習着の胸の辺りをぎゅっと握り締めた。
「巣山は・・・頑張ってるよ!自己管理にすごく気を配ってるし。練習だって、凄い真剣だし。いつも、自分に厳しい・・・。オレ、いつも巣山のこと見てるからわかる!お、オレも・・・もっと、もっと練習、頑張るよ・・・」
 思わず、口から出た言葉は暴投さながらだった。
 巣山は、西広の声の大きさに面食らってしまったように目を丸くした。
 その顔を見て、『ああ・・・自分は、何言ってるんだろう!?』と恥ずかしくなってしまった。自分なんかが、巣山に『頑張ってる』なんていうのは僭越というものだ。それに、いつも見てるっていうのも本当だけど・・・本人に言うつもりなんて全くなかったのに・・・。最後には、わけがわからなくなって脈絡なく自分も頑張るなどどと言ってしまって・・・穴があったら入りたい。
 巣山の顔が見ていられなくなって、目を反らした。顔から、火が出るほど恥ずかしい・・・。
 それでも、手はそのままだった。
「おーい、何やってんだよ!?早く整列しろよ、市内ランニング始めるぞ!」
 花井の呼び声にはっとなって顔を上げると、グランドの入口に整列した皆がじぃっとこちらを見ていたので飛び上がるほどびっくりした。
「わ!!」
 巣山も驚いたらしく、西広の手をぱっと放した。
「悪い!今行く!」
 帽子を目深に被り直し、走り出した巣山の後ろについて西広は走り出した。
 グランドを横切りながら、自由になった右手に左手を重ね、壊れそうなほど大きく鼓動している心臓をそっと押さえた。
 もっと、頑張ろう。巣山に追いつけるくらいに頑張ろう。巣山や皆と一緒に公式戦に出て、それで勝ちたいから。だから、野球が巧くなりたい。きっと、頑張れば巧くなれる。
「大丈夫、頑張れる。きっと、巧くなれる」
 そう自分に言い聞かせると、西広は巣山の隣に並んで走るべく、腕の振りを大きくしてピッチを上げたのだった。


END
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