泣けるなんて、思わなかった。



THE END OF EARLY SUMMER



夏大予選は緒戦で敗退した。去年は、甲子園出場。
当然、今年も甲子園出場が期待されていたのはわかっていた。二連続甲子園進出は、難しいことだとわかっていたけれど、誰もが夢見ていた。
桐青野球部を応援してくれる沢山の人たちに信頼されて、その重さを重々承知して、オレは主将として部を預かっていたのに、こんな結果しか残せなかった。
ネクストサークルで高校最後の試合を終えた時。西浦高校と試合終了の礼をした時。援団挨拶の時。
黙って耐えた。今だって、耐えている。
これから午後の試合が控えている。雨が強いので試合が行われるかはわからなかったが、速やかに帰り
支度をしてベンチから出なければならない。
余韻など、ベンチで味わっている暇もない。
わかっているけれど・・・人間はそう簡単に割り切れるもんじゃない。ましてや、夢が破れた今この時では、そんなことを・・・他人のことを考える余裕もないだろう。
オレも・・・バックのポケット部分に入っていたお守りが目に入ってしまった時に他のことが一瞬頭から飛んだ。
これを貰った時に言っていた家族の言葉が自然と思いだされた。暖かく励ましてくれる言葉、厳しく律してくれる言葉。純粋な喜びの言葉。
スタンドから小さく『西浦高校の健闘を祈って〜』という、西浦の一年生部員にエールを送る桐青校援団の声を聞きながら、また胸に沸きあがるものをぐっと耐えた。
背後からも、隣からも、涙を拭いながら帰り支度をする部員の、しめやかな嗚咽が聞こえてくる。
何度も、取り出しては眺めていたせいで少し草臥れてしまったお守りを、バックの中にしまって、ジッ!と勢いよくファスナーを閉めた。
同時に、感傷も悔恨も一緒に閉じ込める。今は、ベンチを去ることだけに専念しよう。
バックを肩にかけると、立ち上がる。
「さあ、出るぞ!次のチーム待たすなよ!」
『はいっ』と答えるチームのの声が返ってくる。
ああ、まだオレは主将なんだと思った。
部員を率いて桐青高校に帰り、解散するまで・・・主将なのだ、と。
これが、主将としての最後の役目だ。
潔く顔を上げて、最後の仕事をしよう。
「か、和、さん」
か細く、切れ切れの声が聞こえてきた。オレを呼ぶ声だった。
振り向くと、ついさっきまで桐青のエースとしてマウンドに立っていた準太が深くうな垂れていた。
「・・・ス、スンマセン・・・でした」
右手にバックをぶら下げて、『スンマセン』を繰り返した。いつも、軽々に謝意を口にする男じゃなか ったのに。何度も、何度も『スンマセン』を繰り返す。
準太を、これほどまで謝らせてしまった・・・。自分を、一番信頼してくれたのは・・・他の誰でもないこの目の前のエースだったというのに。
なんて、オレは不甲斐ないのだろう。
ポンと、肩に手を置くと細かく震えているのがわかった。
「お前があやまることはいっこもない」
触れた場所から感じるのは悔しさ、怒り、無力感・・・こんなもの準太に感じて欲しくなかったのに。
そんな苦渋を、大切なエースに舐めさせているという事実が、やるせなかった。
準太の顔が、ばっと勢いよく上がった。同時に、二つの目から溢れる大粒の涙が煌めきを放ちながら、宙に散る。
綺麗、だった。
「・・・オレはっ、もっと・・・いっ、一緒に・・・!」
いつも格好つけたがる準太が、ぐずぐずに崩れた赤い顔をしていた。腫れた瞼の下の黒く純粋な瞳が、まっすぐオレを見る。
マウンドでオレを見る瞳だった。オレを・・・慕ってくれる眼。
ポーカーフェイスを装いながら、いつだって準太の感情は、その瞳に滲む。
その激しさに驚きうち震え・・・そして、オレが耐えていたものがあっけなく弾けた。
何かを考える前に、準太の己より一回り小さな体にかきついていた。
オレの目から涙が、とめどなく流れ出した。
「力、足んなくてごめんな!!お前をもっと、うまく投げさてやりたかった!!」
準太の嗚咽を噛む声が、耳元で聞こえると、もう我慢が利かなくなってしまった。
両手を準太の肩に回し、己の肘と肘を強くつかんだ。
零れ落ちていくこの瞬間を閉じ込 めるかのように。
「和さんっ!和・・・さんっ!!」
顔を準太の肩に埋める。ユニフォーム越しにも、その肩が冷えているのがわかった。そこから汗と雨と準太の匂いがして・・・この匂いを嗅ぐのも最後だと思うとたまらなくなった。
いとも簡単に、感情が昂ぶり、
うわぁぁ!
と、オレたちは号泣した。
オレの涙が、準太の冷えたユニフォームに熱く染み込む。
恥も外聞もなく、一年前よりも随分逞しくなった準太にすがり付いて泣いた。
準太の手がまるで、愛撫するかのようにオレの肩を撫で、そして背番号の辺りをつかんだ。
ベンチに響く泣き声は準太のものか、オレのものか・・・もう、どちらがどちらのものともわからなくなっていた。
それを聞きながら、オレは心のどこかで酷く不思議に思っていた。
まさか、泣けるとは思わなかったから。
泣くことを、許せると思わなかった。
主将としての自分も、個のプレイヤーとしての自分も。
それなのに・・・。
痛いほどにオレを抱きしめてくれる、準太に・・・結局は甘やかされていた。
いつも、そうだった。準太はその負けん気の強さで、試合中に考えすぎて二の足を踏んでしまうことがあるオレを何度も引っ張ってくれた。そんな準太のことを頼もしいともカッコイイとも思った。
いつだって、そうだ。支えられているのは、オレの方だ。
今、号泣する胸と胸を合わせ・・・想いと鼓動を伝えてくる男が、大切で、可愛くて、愛しくて仕方なかった。首筋に感じる準太の熱い息遣いに、心が震える。
「和さんっ!和さっ・・・!」
オレの名前を繰り返しながら、必死で抱き返してくれる準太にオレも想いを返す。
「準太っ!」
すると、体を・・・強く強く、砕かれるのではないかというほど強く抱かれた。
こんなに強くされたなら、後で『準太の抱きついてくる腕が痛くて、涙が出てきた』と軽口を叩けることだろう。
「オレはっ・・・和さんと・・・和さんとオレのバッテリーでっ!一緒に甲子園で投げたかった!!オレらのバッテリーで最初で最後で最高の・・・夏にしたかった、のにっ!」
「〜〜〜!」
「和さんは、オレたちの最高の主将だった。それで、それで・・・和さんはオレの最高の捕手、なんです・・・!」
泣きじゃくりながら、まるで幼い子供のようにたどたどしく、準太が言った。
「ありがとう、ありがとうな・・・準太」
そしてオレは、最後の最後まで・・・準太に救われてしまったのだった。

END

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