栄口は、着替えを終えて、ロッカーを閉めようとした時にふとそれに気がついて、思わず手が止まってしまった。
「やっぱり、オレって・・・」
 栄口がじっと見ているのは、ロッカーの扉の裏に備え付けられている小さめの鏡だった。
 そこに映っている、自分の顔を見て栄口は軽いショックを受けた。
 分っていたことだし、今更のことだから気にしないようにしてはいるけれど・・・何気ない瞬間に嫌な事実を目の前に突きつけられてしまうとどうにも落ち込んでしまう。
「どうしたの?栄口、鏡とにらめっこしちゃって」
 小さな鏡に、へらりとした笑顔が写りこんできて栄口はびっくりした。



I LOVE・・・




「わっ・・・み、水谷」
 横を見ると、水谷の顔がごくごく間近にあって、慌てて前を向いた。前を向けば、勿論鏡があって・・・狭い鏡面に自分の顔と水谷の顔が並んで映っていた。
 この水谷の笑顔を見て、阿部なんかは「へらへらすんな!」って言うけれど・・・栄口はこの笑顔がキライじゃなかった。
 (だって、水谷の笑顔は優しいよ。それに引き換え、オレの顔ってば・・・)
「どうしたの?」
「え?」
「溜息」
  出てたよ?と言って、水谷は人差し指で栄口の眉間をちょんとつついた。
「皺寄ってる」
 心臓が、どきんとひとつ大きく鳴ったのは、触れたその指が温かくて・・・きっと、それに驚いたからに違いない。
「そ、そう?ごめん・・・練習で疲れたのかも」
 笑って誤魔化すけれど、こんな時ばかり水谷は鋭い。
「そんなことじゃないでしょ?」
「・・・」
 どしたの?と重ねてきいてはこないけど・・・わかる。
 水谷の優しいアーモンド形の目に、思いやりが滲んでいる。
(よりによって、水谷に・・・言えないよ、こんなこと)
 何も言えないでいると、水谷は鏡を覗き込んだ。
 溜息の理由を言うことができないことに内心おろおろとしていたけれど・・・水谷の視線が鏡の中の栄口を見ているとことに気がついてかぁっと顔が赤くなった。
 そして、慌ててばたん!とロッカーを閉めた。
 その瞬間、鏡に映った悩んでいる自分の顔が見えてしまったからだ。
 まるで、藪睨みしているような恐い顔。大きく見開いたかのような目に、黒目の割合がとっても小さい。そのせいで、無表情になったり、疲れていると恐い顔つきになってしまう。
 (オレ、自分の顔・・・好きじゃない・・・)
 栄口は・・・・俗に言う三白眼というやつなのだ。まるで、睨めつけているような目つき・・・しかも、睨み据えるのではなく、恨めしそうに人を見上げる、欲しがりの悔しがりの目だ。
 顔に、自分の心の醜さが出ているのかもしれないと・・・不安になる。きっと、心を映す鏡があったとしら、そこに映るのはキライな自分の顔で・・・この眼なんじゃないかと思うことがある。
 それに、三白眼は人相学的には凶相とされる。
 このことを、実は栄口はもうずっと気にしている。
 悪いことが起きると、全部顔のせいなのかもしれないと・・・どうしようもない気持ちになるのだ。
 人生で一番辛かったあの出来事も・・・自分の顔がこんなんじゃなければしなくてすんだのかもしれない、なんて時折考えたりする。
 勿論、100%本気ではないのだけれども・・・。
 だから、実は栄口は水谷の笑顔に憧れていた。
 田島の大口を開けて笑う気持ちのいい顔も、三橋のはにかみも、西広のどこか初々しい微笑も、浜田もモモカンも篠岡も・・・皆の笑顔が好きだった。
 その中でも一番は水谷なのだ。
 水谷の笑顔は柔らかくてぽわっと暖かくなるような気がして・・・硬い気持ちがほぐれる。
 だから水谷の笑顔が・・・一番好きだったりする。
 勿論、こんなことを同い年の野郎が言出だしたら水谷は引くだろうから言いやしない。それにちょっと面と向ってこんなことを言うもの恥ずかしい。だから、絶対口に出したりしないけれど。
「な、なに?」
 じっと見られていることに気がついて栄口はちょっとおたついてしまう。
 あの顔を見られていると思うと・・・思わず下を向いてしまう。
「いや、栄口ってさ目つきわるいよね〜」
 ぎゅっと、心臓が痛くなった。
 笑わなきゃと思った。
(笑って・・・『そうなんだよ、困っちゃうよね』って、言わなくちゃ)
 掌が急激に冷たくなっていくのが分る。
「あ、ごめん!もしかして・・・気にしてた?!」
 水谷が困っている。
 気にしてないよって言ってあげないと。けっこう、この左翼外野手はそいういうことを気にするのだから。
 それで、さっさと支度をして部室を出て行こう。落ち込むなら、その後教室で落ちこめばいい。
「ええと、マジごめん、栄口!俺が言いたかったのはそうじゃなくてね、栄口ってすごい、優しいじゃん?親切だし、滅多なことじゃ怒らないし。見掛けも、優しそうじゃん?!それなのに、意外と目つきが悪くて驚いたの。普通、そういう目の人だったら陰気に見えたり、恐そうに見えたりするわけで、それなのになんでこんなに、優しそうなんだろうなぁって思ったんだよ!あ、さっきも言ったけど見かけだけじゃなくてマジ優しいけどね、栄口はさ!」
(え・・・?)
 意外な言葉だった。
 思わず顔を上げると、水谷が必死な顔をしてこちらを見ていた。
「いやさ・・・試合中の栄口ってカッコイイけどこわいくらいだからさ、普段とのギャップがあるなぁって」
 そう言って水谷が笑った。栄口の好きな笑顔で。
 肩から力が抜けた。見開いていた目が、とろんとした。きっと、自分の顔は半端に笑った顔になっているだろう。
 ちらりと、水谷を上目遣いにみると、目が合った。
 瞬間、上がっていた水谷の口角がすとんと落ちた。
「水谷・・・・?」
 怪訝に思って首を傾げて呼ぶと、口元を押さえてちょっと赤くなった。
「なに?」
「いや、なんかさ、栄口の眼ってさぁ・・・なんか、独特のイロケがある・・・かなぁって思ったりして?」
 あははは、と笑いながらも水谷は顔を真っ赤にした。栄口は、言われた意味が理解できずに何度も瞬きをしていた。
「・・・?」
「今度は子供みたいな顔。キョトンとしちゃって・・・ほんと、栄口って・・・ギャップあるなぁ」
 口元を押さえたまま言ったので水谷の声が妙に篭っていた。その声にちょっとだけどきりとした。少し、色っぽい声だった。
 とっさに、先ほど水谷の口から出たイロケという言葉が脳内で漢字変換された。
(も、もしかして・・・イロケって色気ぇえ?え・・・?ええぇ?)
 思わず栄口は固まった。すると、水谷の黒目がちの目がちらりとこちらを向いたので、目が合ってしまい。
(うわぁ・・・!なんか、ハズカシイ!テレル!)
 二人して真っ赤になって・・・やっぱり固まっていた。
「おーい、何やってんだよ。部室しめるぞ。早くしないと予鈴鳴っちゃうからな」
 巣山が声をかけてくれたので、ようやく動くことができたけど・・・。
「ご、ごめん・・・今行く!」
 水谷が、カバンにタオルを詰め込んで肩にかけたので、栄口ももう一度ロッカーを開けて中からカバンを取り出した。






 「じゃあね」とみんなに挨拶をして1組の教室へ入ろうとした栄口に、水谷がすぅーっと寄って来た。
 栄口は落ち着いた鼓動がまたびっくりして飛び跳ねる音を聞いた。
(し、静かにして・・・俺の心臓!)
 必死で動揺を落ち着け居ようとする栄口に、『まぁ、オレ、水谷文貴個人としては・・・栄口の目もとが、その・・・いいなぁって思うわけです』と言いたいことだけ言って、また、すぅーっと離れていった。
 栄口は慌てて教室に飛び込むと、ばっと自分の席に座って机につっぷした。
 先に教室に入っていた巣山が驚いて栄口の席に寄ってきた。
「どうしたんだよ、栄口?」
 巣山の心配と動揺が伝わって来る。心配をかけて申し訳ないと思うけれど・・・。
(ごめん、巣山。オレ、今顔を上げられそうに無い・・・)
 今まで、コンプレックスでしかなかった目を「いいと思う」と水谷が言ってくれた。それだけで・・・凄く楽になった・・・嬉しかった。
「栄口・・・本当に大丈夫かよ?」
「オレ、今打席に立ったら・・・ホームラン打てちゃいそう」
 珍しくおろおろしている巣山に、栄口は突っ伏したまま言ったら「はぁ?!」と言われた。
「なんなんだよ、お前・・・」
 呆れたような、困ったような声に栄口は顔を上げないまま「自己新とか出せそうだ」と言って笑った。


END
 
 

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