風に乗ったボールはまるで羽が生えたようだった。
 『ホームラン・・・?』
 絶対に、フェンスを越えやしない。深く下がっている外野の守備を突破するなんてことは出来ない。それは わかっている。分っているけど・・・。
それでも。
 そうなることを期待した。
 そして、同じくらいそうなることを恐がった。
 俺が知りたくなかったものは、これだった。



L and H 2




 背中が熱い。心臓が痛い。
 田島が好きで、田島が嫌いで。
 汗ばんだ田島の手は、今俺の何を感じているだろうかと、真剣に考えた。もしかすると、怖気付いたような、うしろめたいような気持ちが伝わってしまっているのかもしれない。
 オレは、お前の気持ちがわからない。俺が分るのなんて、その掌の熱だけだ。
 田島、お前は今、何を考えてる?
「好きだ」
「・・・!」
 大きな衝撃が、胸にきた。息が詰まる。変な汗が額にじわりと沸いてきて、俺は掌で顔を覆った。
「・・・勘弁してくれよ」
 嘘偽り無い、正直な思いだった。搾り出した言葉は震えていて、まるで泣く寸前の声のようで情けなかった。
 その手を、どけてくれ。頼むから、頼むから・・・。
 祈るような気持ちに、応えたのは田島ではなかった。
「花井、着替えられないで困ってんぞ」
 背後に俺でも田島でもない気配がして、泉の声がした。
「えー、別に邪魔してたわけじゃないぞ」
「ふーん。なんでもいいけど。きちんと汗ふかないと体冷やすし、汗臭えぞ」
冷静な泉に続いて俺の隣にわざわざ寄ってきた水谷がくふふと笑った。
「花井、三橋より遅いよ。着替え」
三橋を見れば、もうすっかり着替えを終えて阿部と何やら話し込んでいた。
「もしかして、待たせてるか?」
「まぁな、暗いからできるだけ集団で帰った方がいいんじゃないか?」
「わりぃ」
 部長のくせにみんなに迷惑かけていると思うと、自分の駄目さに居たたまれなくなる。
「別に。なんか、みんな同じこと思ってんじゃねえか?多分、デフォルトは全員で部室を出るって無意識に思ってんじゃねぇ?」
 泉がなんでもないことの風に言う。泉はいつもこんな感じだ。何かをしてやっているという恩着せがましさがない。
「悪いな・・・すぐ支度する」
 急いで替えのシャツをハンガーから取ろうとすると、田島の熱が背中からふいに離れていった。
 え?
 と、思ったと同時に俺は振り返っていた。あれだけ躊躇っていたのに、いとも簡単に俺はそれをした。
「あ・・・」
 振り返ったところでもう、そこに田島の姿はなかった。
 






ものの3分で着替えと帰り支度を終えた俺は、遅くなって悪かったなとみんなに詫びた。それから、分担して戸締り確認とゴミ捨てをして部室を出た。暗がりの中を自転車置き場まで皆でわいわいがやがや言いながら移動して、自転車の乗って校門を出た。そして、固まって下校する集団から、一人減り二人減りとどんどん少なくなってゆく。
「じゃあな」
いつもの分かれ道が見えてきたので、自転車のスピードを緩めて阿部が軽く手を上げた。三橋もそれに倣ったようにぎこちなく手を振る。田島も「おー、また、明日な!」と大きく手を振った。
「阿部、明日雨だったらちょっと早めに連絡網回すからな」
 俺も自転車を止めて、確認の事務連絡事項を言いながら手を振った。「おー」と返す阿部の横で三橋と話をしている田島に眼がいく。
「また明日!気をつけて!」
俺と一緒の方向に右折する栄口がブレーキをかけて、自転車に跨ったまま笑顔で手を振った。栄口は、いつも真っ直ぐ走って行く連中の背中を見送る。栄口がするから、俺もいつのまにかそうするようになった。
 俺は小さくなる田島の背中をぼんやりと見た。
「・・・!」
 田島がキキィッとブレーキをかけてぱっと振り返ったのだ。計ったようなタイミングに、俺は驚き慌てて目を反らそうとした。
「花井」
 田島は、まるで目を反らすことを許さないというように俺の名前を呼んだ。怒気はない。責めるよう感じでもない。
ただ、力づけるかのように、諭すかのように。
「俺の言ったこと、忘れんなよ!」
 そして、「じゃあな!」と大きく手を振って自転車を再び漕ぎ出した。ぐんぐんスピードを上げて先を走っていた阿部と三橋にあっという並んだ。
「ナニが“忘れるな”なの?」
 三人の後姿が見えなくなって、栄口が少し遠慮がちに訊いてきた。多分、心配してくれているんだろう。
「なんでもねぇ。っていうか・・・俺もよくわかんねぇ」
 だから、俺も正直に答えた。田島の言う意味は、分らない。俺の何を指して「いい」なんて言ったのか、全然わからない。
「はは、そいうところ、なんとなく田島らしいや。もしかしたら、田島にとっては大切なことなのかもね」
「え?」
「ん。なんとなくね。田島って、物事にあまりこだわらないのに、念押しするなんて珍しいって思ったんだよね」
「う・・・」
 そういえばそうかも・・・と思ってぐっと詰まってしまった俺に栄口は笑って「行こうか」と帰路を促した。それに「ああ」と返事をしながら、もう一度振り返った。
 防犯灯にぼんやりと照らされる夜の住宅街が静かにそこにたたずんでいるだけだった。
 忘れたくたって、忘れられねぇよ・・・馬鹿田島。ずっとお前が触ってたから背中に、お前の手形が残っちまってるんじぇねぇかって思うくらいだっつーの。
 俺はあの時、泉が声をかけてきてくれたことにホッとした。でも・・・背中から手が離れていったことが不満でもあった。何で離れるんだよって思った。オレの気持ちは矛盾だらけで滅茶苦茶だった。
 勘弁してくれ、俺をこれ以上暴かないでくれよってのが、本音なんだけどな・・・。
 忘れるな、なんて言われなくっても・・・俺は、何時までも田島の熱を覚えているだろう。
「ホント、勘弁してほしいぜ」
 なんだか、良い訳じみたことを言って後ろ暗いような、切ないような気持ちを誤魔化すと、俺は、先を行く栄口を追って自転車のペダルを踏み込んだ。




END

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