たった一日しか休んでいないのに、とても懐かしいような、新しい場所に来たような、不思議な気分になるのは何故だろう?
 もしかすると、青桐と闘っていた時間は三橋の人生の中で一番濃密な時間だったのかもしれない。その密度の濃い一日が終わって、再び部室を訪れた時に随分と時間がたったように感じたのかもしれない。
 畳だって、ロッカーだって、着替えている部員たちの顔だって・・・いつもと変らないはずなのに。
 雰囲気だろうか・・・?去年の甲子園出場校を下し、二回戦にコマを進めた西浦の部員たちの醸し出す空気は、やっぱりちょっと変ったかもしれない。その正体は、わからないけれど、それは、きっといい変化のはずだ。
 練習着に着替えている皆からは、これから野球をするぞっていう気合とか、練習したらもっと上手になれるはずだという期待感が滲み出いている・・・ように思える。野球部の面々は桐青戦の前より、もっと野球が好きになった顔をしている。
 部室に差す光は、いつもと同じなのに。 まるで、台風が通り過ぎた後の空のような透明感に溢れていた。



ピンク・タイフーン




 
「ふひっ」
 なんだか、それだけで嬉しくなってしまって顔がにやけてしまうのが止められない。
 ともすれば、鼻歌でも歌いだしてしまいそうになりながらジャージのパンツのゴム部分に手をかけて、下ろした。
「あ・・・」
 他に気がいっていて、手元の注意が留守になってしまっていたらしい。ジャージと下着が一緒になって、途中までおりてしまった。
 顔を上げて、目だけを動かして周囲を窺うけれども、こっちを見ている人はいなかったのでほっとした。下着をずりあげようとすると、タイミングの悪いことに声をかけられてしまった。
「うわー!三橋、痣になってんじゃン!」
「うぉっ!!」
 急な声にびっくりして、文字通り飛び上がってしまった。慌てて声の出所を探すと、それはすぐ左隣の・・・床のから発せられたものだった。ぺったりと座り込んでストッキングを履いていた田島が大きな目を見開いて露になった尻を見ていた。
「ん・・・あ?」
 痣って・・・なんだっけ?と首を捻る。
 田島の視線を辿ると、自分の右の尻たぶにできた痣にいきついた。その丸いカタチが、ボールの痕だと気がついて、ようやく青桐の投手から死球をもらったということを思い出した。
「あ・・・痣に、なってる・・・」
「痛そう〜!な、見てみ?三橋の痣!」
 田島が、大きな声でみんなの注意を三橋の尻に集めた。
「あ・・・あう・・・」
 半ケツ状態を見られることに抵抗があったので、慌ててしまうとするが、花井が側に寄って来て心配そうに痣を覗き込み「大丈夫なのかよ?」と聞いてきた。続いて、水谷が丸い痣を見ながら「痛かっただろぉ・・・良く頑張って投げたよな、ホント」と労わってくれた。西広が、きらきらとした尊敬のまなざしでさりげなくこちらを見ている。
「あ・・・あ・・・、オレ大丈夫、だよ!!」
 みんなから心配してもらえるなんていう前代未聞の椿事に喜んでいいのか謝ればいいのかわからなくなってしまった。
「三橋、モウコハンみてぇだな!」
 田島が、カラカラと笑った。
「そんなに青く、ない、よ!」
 三橋は首を振って否定すると、みんなが笑った。
「オレ、平気だ、よ?」
 と三橋がアピールすると、部員は一様に『よかった、よかった』と言ってくれた。場の空気が和み、まるで穏やかな小春日和のようになったことが、三橋をふわふわとした幸せな気分にさせた。
 しかし、その中で一人だけ、違う空気を纏っている人間が部室のドアの側にいた。
 その人物が、熱帯低気圧みたいなすごいのを背負ったまま物見の人垣を掻き分けてずんずんと近付いてきた。
 そして、最後に田島を押しのけて三橋の目のまで来てピタリと留まる。
 台風の上陸に、部員たちは慌てて、被害を最小限に食い止めようと「三橋、そろそろ着替えなよ」とフォローを入れようとするが、すでに時遅し。
 シーンと部室が静まり返った。嵐の前の静けさ・・・という言葉を思い出して部員たちは一様に黙りこみ、事前に台風を鎮めるように計らうという第一次警戒態勢から両手で耳を覆うという第二次警戒態勢にそそくさと態勢を切り替えた。
 台風の名前は、ジャクリーンでもカトリーヌでも4号でも5号でもなく・・・。
「あ、阿部くん・・・!」
 そう、その大型台風の名前は・・・阿部隆也といった。
「・・・しまぇ」
 低い、低い声がしたが、なんと言っているのか三橋は聞き取れなかった。
 パチパチと瞬きをする。わかっていません、という顔が熱帯低気圧阿部の勢力を拡大させた。
 しかし、浮かれた三橋には台風の発するプレッシャーすらも効果が無く、こともあろうか、ジャージのゴム部分を更にさげて、丸い尻とその痣を主張するかのように、阿部に生尻をぐっと突き出した。
 一瞬、阿部の空ろなった瞳に、尻と痣と・・・ずり下げすぎた下着からちょろりとはみ出した柔らかそうな毛がばっちりと映った。
「痛く、ないよ・・・オレ、全然へっちゃらだ、よ・・・阿部くん!」
 三橋が右の尻を剥き出しにしたままエッヘン、と胸を張って言い放った。
 阿部の脳みそが、三橋のあそこのケがその髪と同じ薄い色をしていることを認識すると同時に・・・・。
「こンのアホーーー!!!!」
 大爆発した。
「うぉ・・・!」
 台風の直撃をまともに食らった、三橋はそのまま後ろへゴロンとひっくり返った。
三橋はぽかーんと口を開けて転がったまま阿部を見上げた。
カッと見開かれたタレ目が爛々と光り、眦がこれ以上は上がりませんというくらいまで攣りあがった恐ろしい形相で三橋を見下ろしている。
「あわわわ・・・」
 今まで踏んぞりかえった態度は、どこへやら。三橋は腰を抜かしたままうつ伏せになって、ほうほうの体で床を這いずった。勿論、尻は出したまんまだ。
「ソレをしまえっつってんだろうがっ!」 
 台風の脅威しか目に入っていない三橋は、阿部の言葉など耳に入ってはおらず、芋虫か尺取虫よろしく床を這って逃れようとした。少しでも、天災から離れようとしてのことだった。
 しかし、それが熱帯性低気圧の勢いを煽った。
「ケ ツ を し ま え っ つ っ て ん の が わ か ん ね ぇ の か ・ ・ ・ ド ア ホ ー ー ッ ! ! 」
 ガラガラピシャーっと轟く雷を伴って電光石火、阿部が動いた。
「ごめんなさい、ごめんなさ・・・ヒ イ ィ ィ ー ! ! 」
 阿部は三橋のずり落ちたジャージのウエストをむんずとつかみ、その身体を引き寄せると、力一杯の平手を一発、そのむき出しの尻に炸裂させた。
 結局、三橋のなまっちろい尻にはボールの痕よりも阿部の手形がの方がクッキリ赤赤と残るというなんともとほほな結果となった。
 阿倍の超弩級の怒号と三橋の絹を裂くような絶叫の前に、第二次警戒態勢などまったく意味を成さなかったことを後に西浦高校野球部員たちは涙ながらにせつせつと浜田に語っていたという。勿論、その後の事態の収拾がつかなくて泣かされたという話も余すとこなくセットになって伝えられらた。
『ひえぇ〜。スパンキングかよ・・・うちのバッテリーってば、濃いな・・・』
 一部始終を聞いた浜田の口から出た台詞は、世間に漏れる前に泉の手によって闇に葬り去られ、二次災害に至ることはなかったという。


END

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