月 西 騒 動  2  


 花井は、ざっと記事に目を通し阿部のアンケートの回答部分にさしあたったところで・・・。 
「あれ〜、花井も阿部も新聞見てんの?今月、俺らの特集だよね〜」
 背後から暢気な声が聞こえた。勿論、水谷だった。
(なんで、こんなタイミングで教室に戻ってくんだよ!まだ、コトのいきさつすらもわかんねーんだよ!阿部の怒りはまったく静まってねーっつーの!)
「死ね」
 何の前置きもせず、阿部が真顔で水谷を殺しにかかった。
 阿部は電光石火の勢いで、花井の手から月西を奪い取り、一瞬にして小さく丸めて水谷の顔面目掛けて全力投球した。
 前に一度見た武蔵野第一の榛名ばりの剛速球だった。
「ヒィッ!」
 殺気を感じ取った草食動物のように水谷が、この夏一番のいい動きで阿部の一撃をかわした。コレだけの反射神経と瞬発力があればどんなゴロだって捕れるだろうにと花井は遠いところで感心した。
「コロス、コロス!」
 殺意だけを叫びながら、阿部が紫色の顔色で逃げる水谷を追い回す。
 まだ、教室に残っていたクラスメイトの殆どは、身の危険を感じてさっさと荷物を纏めた。賢明な判断だ。残りの野次馬根性丸出しの数名が教室の外に出て、扉から遠巻きに阿部と水谷のリアル鬼ごっこを見物していた。なんて、物好きな・・・。
「なに、騒いでんだ?」
「阿部の怒鳴り声が、うちのクラスまで聞こえたんだけど・・・」
 物好きな連中の間から、ひょいっと巣山が顔を出した。続けて心配顔の栄口が現れる。
「うぉ!良く来てくれた!」
 花井は、二人に駆け寄った。ウェルカム!と叫んで二人の首にハイビスカスのレイでもかけてやりたい気持ちになった。
(これで、一人で事態を収拾することからは解放された!天は我を見放さなかった!)
 だが・・・。
「たすけてぇ〜、栄口ぃ!!」
 水谷が、栄口を見つける否やこっちに向って突っ込んできたのだ。
「「「げぇ!」」」
(((来ないでぇ!)))
 花井・巣山・栄口の3人の口に出した声と心の声とが見事にハモった。そして、戸口に張り付いていた野次馬も血相を変える。高見の見物どころじゃなくなって、冷やかしは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。水谷後ろから夜叉か羅刹かという顔した阿部が迫ってきている。逃げられるものなら、花井も逃げたかったがそんなことをしようものなら後悔するのが関の山だ。突進してくる水谷のルートから離脱するのがせいぜいだった。巣山も素晴らしい反射神経で飛びのいていた。
 そんな中、称えられるべき勇者は栄口であった。
 半泣きで首っ玉にかじりついてきた自分より大きな水谷を、抱きとめると一、二歩後ろによろめいたもののなんとか踏ん張ってこらえて、なんと阿部との間に割って入ったのだ。
万が一水谷に何かあったら、西広に頑張ってもらうとしても、栄口には万が一があっては困るのだ。
モモカンを以ってして、「職人芸」と言わしめるバントを繰り出す二番打者で副主将の栄口の穴はどうしたって埋まらない。
(これじゃ、栄口の身まで危ういじゃねーかよっ!被害拡大させんな!馬鹿水谷!っつーか、栄口になんかあったら、一番困るの俺だから!戦力的にも低下するけど・・・誰が、この野球部の面倒見てくれんだよ!誰が試合中に切れた阿部を、誰が止めてくれんだよ!ああ!?)
「そこをどけ、栄口・・・」
 地獄の釜底から響くような声に凄まれて、一瞬怯んだ栄口だがなんとか堪えた。
「阿部、落ち着いて・・・どうして、そんなに怒ってるんだよ?」
「水谷・・・テメェはクソなだけじゃなく、卑怯なんだなぁ・・・」
 栄口の言葉なんぞ右から左で、バキボキと指を鳴らすと阿部が射殺しそうな目で栄口の後ろから数センチはみ出している茶髪を見た。
「さ、栄口に何かしたら許さないぞ!」
 口だけは勇ましいが、栄口の後ろから叫ぶんじゃ情けないにも程がある、と花井は肩をがっくり落とす。
「じゃあ、栄口の陰から出てきやがれ・・・」
「ヤ、ヤダよ・・・!だって、阿部オレを殺そうとしてるもん!目がホンキだもん!」
「よく分かってんじゃねぇか・・・そこへなおれ」
「だって、ホントのことじゃん!そんな怒ることないじゃん!」
 阿部と水谷の問答を聞きながら、こそっと巣山が花井に耳打ちした。
「いったい、ナニが原因なんだ?」
「それが、オレにもわかんねぇんだけど、今日出た月西になんかあったみてー」
「特集?」
「ああ、その記事だよ。巣山読んだ?」
「いや、まだ・・・鞄に入ってるから出して見る」
「おお」
 巣山がごそごそと鞄を漁っているうちにも、水谷の命を懸けた戦いは続いている。
「黙れ、クソレフトッ」
「阿部、『んなくだらねぇー質問は、テキトーにやっとけ』ってオレに言ったじゃん!親切でやってやったのに!オレ、ちゃんと適当に書いて出しとくからねって言ったじゃん!」
「うっせー!オレの検閲も受けずに出すとは何事だ!」
「阿部だって、オレが書いたの見ようとしなかったじゃん!」
「ちょっと、待ってよ!何がどうなってんの!」
 間に挟まっていた栄口が我慢しきれずといった具合で口を挟んだ。
「えぇ?!あぁー、これかっ!!」
 栄口とほぼ同時に巣山が、らしくもなく頓狂な声を上げる。巣山は月西を広げて一点を見つめていた。
 花井は巣山が広げた新聞を覗き込んだ。
「どこ、どこだ?ナニが書いてあんだ?」
「こ、ここ・・・この、最後のどうみても脈絡なく付設された質問事項」
 巣山がゆび指したのは、野球関連の質問のなかにぽつんと混じっている異色な質問事項。
『好みタイプは、どんな子ですか?』
 だった。
「あ、阿部の解答欄に『と』・・・ぅっ!」
 今、まさに核心をつこうとした巣山を気迫で押しとどめたのは阿部だった。
「みなまで言うな!!」
阿部が右手を突き出し『待て』のポーズで絶叫した。
 その壮絶さに、みんな一様に閉口した。
 だが、次の瞬間その沈黙を四番バッターの鋭い一振りが打ち砕いたのだった。


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