月 西 騒 動  4  


 目が合うと、三橋は後ずさって逃げようとしたが・・・腰が抜けたかのようにヘナヘナとその場に尻餅をついてしまった。
 阿部はとっさに一歩踏み出し三橋に駆け寄ろうとしたが・・・三橋がびくびく!と脅えたのでその足はピクリと微動しただけでピタリと静止してしまった。
 それはそうだろう。あれだけ言ってしまったのだからなんとも気まずい。
 そして、気まずいのは勿論・・・ここに居る人間だろう。
(((なんで、俺たちがこんなメにあわなきゃいけねぇんだ!?)))
 と、殆どの人間は思ったであろう。だって、外野だから。
当事者の阿部の額には、傍目からも分るほどのスゴイ勢いでだらだらとヘンな汗が流れていた。
「あ、あのな・・・三橋」
 阿部が、声をかけるが、呼ばれた三橋は吊り目の目尻をぎゅぅっとさげて、口をヘンな形に歪ませながら・・・。
「う」
 と言った。何かの言葉の続きだろうと、みんなが固唾を呑んで聞き耳を立てる。
「う・・・生まれてきて、ごめんなさい」
(((((ぎゃー!三橋がどっかの誰かみたいなこと言い出しちゃったー!)))))
「ばっ!お前、何言ってんだよ!」
 凍てつく空気の中、阿部が必死になって声を上げているけれど、どう慰めればいいか困っているのだろう・・・慰めの言葉の内容が、ない。
「だ、だって・・・オレは自分のことしか考えてないで、すぐ泣くヤツで、ヘボ球しか投げられないダメなヤツで、なるしすとでさでぃすとなんで・・・しょ?」
「うっ・・・」
 阿部が詰まった。花井はフォローしたくとも、「お前はナルでもサドでもねえよ!」ってコトぐらいしか言えない。これじゃ、言わない方がまだましだ。他は当たらずとも遠からず・・・現在はどうでも過去がそうだったなどという事項ばっかりだ。
 触れたくない。できれば、そこは避けたい。是非敬遠でお願いしたい。
「あ、阿部くん、オレのこと・・・キライなんだ。前は、スキって、言ってくれたけど、やっぱりダイキライ、なんだ・・・」
 三橋が膝を抱えてぐずぐずと泣き始めた。どうでもいいが、体育座りが本当にうざい。
 阿部が三橋コトを嫌いなんてあるわけねぇーじゃん!むしろ、好き過ぎだろ?!とか、阿部って三橋にスキとか言ったのかよ?とか、え、ちょっ・・・その「スキ」ってどういう意味!?
とか色々突っ込みたいポイントは多々あったけど、その前に耐え忍ぶことや座して待つことが出来ない阿部が逆切れしてしまった。
「お前、ホントうざい!!」
 わーっと大声で怒鳴った。三橋が涙と鼻水を垂らしながらビビる。
「いーか、三橋!お前は確かに、すぐ泣くし、未だにマウンド譲るの嫌がるし、ウザイし、キモイ笑いばっかしてるし、球は遅ぇ」
「ご、ごめんなさ・・・」
「そうじゃなくって、だな!おい、泣くなよ。最後まで聞けって!ウザくても、キモくても、球遅くても、オレはお前がいいって言ってんだ!他にピッチャーいないから、お前でいいって言ってるんじゃねぇぞ!」
「あべくん・・・」
「『お前でいい』んじゃなくって、『お前がいい』んだよ!馬鹿三橋!」
(((知ってるよ!今更だよ!)))
 花井には、みんなの心の声が聞こえた。今日何回目だろう、こうして皆の心がひとつになるのは。(阿部と三橋除く)
「阿部君・・・」
 三橋が大きな目をぐりっと見開いて、じっと阿部を見た。
『世界はー二人のーためにー』
 という、実に旧いBGMとともに二人の間に薔薇とかカスミソウとかが見えた。きらきら〜っと光っている。
 もうイヤーっ!っと花井は発狂しそうになった。っていうか、発狂してるからこんなものを見るのかも知れない。
 きらきらしている二人を見て、花井は頭を抱えて仰け反った。
(ちっくしょー!犬も食わないなんとやっていうやつに巻き込まれただけじゃねぇか!とにかく、「阿部三橋離婚!」「西浦野球部夫婦破局!」とかいう新聞記事になるような事態だけは避けられたので、よかった・・・。)
「なんだよー、オレ間違ってないじゃん!」
 さっきまで、命をつけ狙われていた水谷がまた蒸し返すようなことを言った。水谷は悪いやつじゃないんだが、要らぬことを言うのが玉に瑕だ。
「うっせー!お前がそんなくだれねぇこと書くから、今回だって揉めたんだろうが!」
 阿部がぎろりと水谷を睨んだ。
 睨まれた水谷は視線があわないようにさっと栄口の後ろに隠れた。しかも、栄口の胴にしっかりと腕を巻きつけている。栄口は苦笑いしながらも、抱きつかれるがままになっていた。
 阿部が怖いなら、へらず口をたたかなければいいのにとか、栄口を盾にするなとか花井としては色々思ったが、まぁそれはいい、瑣末なことだ。
「っつーか、話がよくわかんねぇんだけど?」
 泉が冷静な一言にみんなが大きく同意した。
「新聞部のアンケートに、水谷が勝手に答えたんだよ。全部水谷が悪い」
「ちょ!待ってよ、阿部!違うじゃん!空欄作っちゃダメって、アンケートを渡された時に新聞部の女子に言われてたから、『好きなタイプは?』って質問にオレが阿部のかわりに答えてあげたんじゃんか!」
「確かに、適当に書いておけって言ったかもしんねーが、そしたら普通差し障りねぇこと書いとくと思うだろうが!それなのに、テメェ!」
 確かに、この手の質問を空欄にして出すのも・・・ある意味恥ずかしい。他のヤツラは全員答えているのに自分だけノーコメントだったら逆に意識しすぎの感がある。
「だから、さしさわりなく・・・しかも、本当のこと書いたんじゃん!“投手”って!」
(水谷、間違ってない・・・お前は正しい。が、言っていいことと悪いことがあるんだよ!)
 花井は涙を呑んで、水谷の訴えを聞いた。
「やっぱり、死ね」
「ひど!」
 水谷と阿部の掛け合いを尻目に、田島が三橋の側にしゃがみ込んで二カッと笑った。
「よっかったなー!阿部は三橋スキだって!」
 三橋も、鼻の頭を赤くしたまま「うひっ」と笑った。それを見て、泉が収まるところに収まったなとしれっとした顔で言った。
「まぁ、阿部が投手好きって言うか・・・投手だけを見てるっていうのは本当だよな」
 珍しく、巣山が阿部についてコメントをした。新聞を広げて、阿部の回答欄を眺めている。
「あー、そうだよなぁ」
 花井が頷いていると、田島がとことことそばに寄ってきた。 
 花井はお?と思って隣を見る。17センチの身長差があると、どうしても顔が下を向いてしまう。
「なぁ、花井」
「なんだよ?」
「阿部のタイプはピッチャーって言うのは、間違ってないじゃん。でもさー、もっとゲンミツに書けばこんなことにはならんかったよな?」
「はぁ?」
 巣山も花井も田島が何を言い出すか、さっぱり見当がつかなかった。
「ゲンミツに、三橋廉って書けばよかったのに」
「「!?」」
 花井とひぃっ!と体をすくませた。いつも冷静沈着な巣山も心なしか、びくっとなっていた。
「お、おま!そんなこと書けるわけねーだろ!個人名なんて!」
「なんで?」
 当然だ、そんなことをしたら・・・阿部は後ろ指を指されながら生きていくことになる。
「なんでって・・・!なんでもだよ、なぁ、巣山!」
 巣山も若干視線を外しつつ無言でこっくりと頷いた。オレに振ってくれるなという意味なのだろう。
「書けないっていっても、花井。お前、書かれたてぞ」
 まだあーだ、こーだと栄口を挟んで議論している水谷と阿部をうざそうに一瞥しながら泉が声をかけてきた。
「は?」
 花井は全く話が飲み込めずにいた。
「おう、オレは書いたぞ!ゲンミツに!」
 田島は巣山が広げていた新聞の一点を指差すと屈託のない顔で笑った。


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