「おにいちゃんっ、おにいちゃんっ!」
 居間の扉を開けた途端に呼ばれたから、ちょっと驚いた。
 見れば、ソファに腰をかけて足をぶらぶらさせる妹が手招きしている。小さな掌を一生懸命振る姿が可愛くってオレは思わず相好を崩してしまう。
「どうしたー?」
 妹の前まで来ると、にこぉって笑われた。
 あ、これはなんかたくらんでる顔だな。


ないしょの話は、あのねのね。 1



「座って」
 ぱふぱふとソファを叩かれて、オレは素直に「うん」って言ってそこに腰をおろした。
 さて、この子は何を考えてるのかな?オレを見て、うふふって、笑う。
「おにいちゃん、耳貸して」
 耳と、きたかぁ。
「どうして?」
 オレが聞くと、『ないしょばなしだから』って言われた。小さな声で話せば聞こえないよって言ったら、びっくりした顔をされた。
「おにいちゃん、ないしょばなしって耳のそばでこしょこしょ喋ることなんだよ!」
 知らなかったの?
 って言われて、もう・・・すごく笑っちゃったんだ。
 彼女にとって、そのポーズって様式美なんだ!!
 そしたら、妹はきょとーんって顔してたけど、そのうちほっぺたがぷぅって膨らみ始めたから慌てて笑うのを押さえた。
「ごめん、ごめん。はなし、聞かせて」
 謝ると、すぐににぱっと笑う。
「ききたい?」
「うん、すごいききたい」
「じゃ、ぜったいだれにもないしょだよ?」
「わかった、内緒にする」
 って言うともう一度、じゃあ、耳貸してと言った。
 どうやら、彼女の内緒話はここからがスタートらしい。
 オレは少し体を屈めて、耳を妹にちょっと近づけた。妹も上体をぐっと伸び上がらせる。それでもオレが大きくて彼女は座ったままだと『ないしょばなし』をしにくいみたい。もうちょっと体を小さくしようとしたら、妹は素早くソファの上に膝立ちになって、声が漏れないようにそのちっちゃな手で秘密を守るバリケード兼スピーカーをオレの耳元に作った。
そして、そこに唇を寄せた。
「あのね」
 妹の高めの声が耳にくすぐったい。
「ないしょのはなしなんだけどね」
 うん、って頷く。
「今日ね、学校でね、クラブがあったの」
 小学校では毎週水曜日の5時間目には学校のクラブ活動がある。オレが小学生の時もあったなぁ。懐かしい。
「料理クラブだよね?」
 って、聞くと妹は「私はね」って言ったからどうやら料理クラブでの出来事じゃないらしい。
「あのね、うちのクラスのまことくんね、野球クラブなの。おにいちゃんと一緒なの」
 ああ、まことくん。
 妹から、よく聞く名前の彼女の同級生。
「うんうん、それで?」
「そんでね、クラブの時間にまことくんが校庭で野球やってたの」
「打ったの?」
「ううん。違うの。打たれちゃった球を走っていって、捕ったんだよ!すごかった!かっこよかった!」
 きゃっきゃっと子供特有の声で耳元ではしゃがれると、ちょっと痛い。
 それにしても、このくらいの齢の子じゃ守備をしている姿より、打席に立って打ってるヤツの方がかっこいいって思うんじゃないかな?妹は、なかなか野球を見る目があるのかな?それとも、まことくんだから何でもかっこいいのかな?
 「まことくんのこと、好きなの?」って聞いたら、妹はオレからすすすっと体を離してもじもじしながら『うん』って頷いたから、『ああ、やっぱりなぁ』って思った。
「まことくん、野球上手なんだよ。他にも、飛んできた球何回も捕ってたんだ〜」
 ほっぺたは真っ赤、目はキラキラ・・・ほんとに、好きなんだなぁ。まことくんって子のこと。
 すごいんだよ、すごいんだよって繰り返している。
 思わず、オレは「どこを守っているの?」って聞いてしまった。でも、小学2年生の女の子に、ポジションを聞いてもわかんないだろうなぁ。
「しょーと、だよ」
「え?」
 妹が、あっさり答えたからびっくりした。
「しょーとって、まことくん言ってたよ?ちゃんと、聞いたんだよ」
「ああ」
 納得。どうやら、まことくんに教えてもらったらしい。家では天真爛漫なんだけど、実は人見知りで恥ずかしがりやな妹だから、それを聞くのには随分勇気がいっただろうな。
 それにしても・・・まことくん、ショートなのかぁ。
 ショート・ストップ・・・。
「じゃ、すごく沢山動くでしょ?」
 オレが言うと、妹はそうなんだよぉ!って言って急にがばっと立ち上がった。
 そして、小走りで部屋の隅まで走って行くと、上半身を前傾させてばっと腕を伸ばした。
「まことくんは、誰よりも動いてたよ!ダダッて走って行ってこういう風にして腕伸ばして飛んでくるボールをグローブで捕ったんだよ!かっこよかった!」
 それとよく似たポーズを今日の放課後の練習の時に見たばっかりだったから、オレは思わず「かっこいいよね」って相槌をうっていた。
「わかる?おにいちゃん、わかる!?」
 フィールディングの真似をしていた妹が興奮して両腕をバタつかせている。
「うんうん、わかるよ。飛んでくるボールを素早く的確に捌いて、一直線に塁に送球するんだよね」
 オレがついつい一緒になって興奮してしまったら妹はますます勢いづいてこっちに戻ってくるなり、ソファに飛び乗った。そして、オレの耳にもう一度顔を寄せる。
「わたしね、今日ね、料理クラブで作ったクッキーを、まことくんのランドセルの中に入れてきちゃったんだ。まことくん、甘いお菓子好きなんだって!」
「え・・・!?」
 うわっ!凄い、大胆なことするなぁ・・・。お兄ちゃんは、ちょっとびっくりしたよ。っていうか、本人に言ったのかな?きっと、クッキーだけ入れてきたんだろうなぁ、この子のことだから・・・。
「内緒、内緒だからね!」
 って妹がたてた人差し指唇の前にもってきた。そして、『じゃあ、次はおにいちゃんの番ね』って言われたからまたまた驚いてしまった。
 え?オレも内緒の話をしなきゃいけないの?
「耳、貸したげる」
 って、すごく楽しそうな顔をするから、オレはないよって言えなくなちゃって・・・。
「どんな話しがいいの?」
 聞いてみると、
「おにいちゃんの秘密の話だよぉ。わたしにだけに、教えてくれるナイショの話」
 と答えられて・・・ふっと浮かんだのはこの間の練習試合のことだった。
 5−4で勝った試合だけど、実は辛勝だったんだ。
 特に、中盤一点差を追いかけている時は苦しかった。
 5回裏の相手校の攻撃。ツーアウト三塁で、バッターが5番。今日は調子よかったみたいで、点に絡むヒットを2本も打っていた。
 その5番が、三橋のカーブを捕らえた。痛烈な打球が二、三塁間に飛んでって・・・それを巣山が必死で追いかけて、追いかけて。
 それでも、間に合わない球だった。少なくともベンチで必死に『巣山、巣山!頑張れ!』って叫んでたオレにはそう思えた。二塁の栄口もそう思ったんだろうな、フォローに入る動きを見せていたから。
 なのに、巣山は飛んだ。地面につく、すんでのところでボールに飛びついた。
 ゴロゴロと二回転半も転がりながらも、巣山が突き出したグラブには、白球がおさまっていて・・・思わず歓声をあげたんだ。滅茶苦茶、感動した。勿論、オレだけじゃなくてみんなが、だ。
 巣山のファインプレーの後、試合の流れが変わった。西浦はチェンジ後の6回表で逆転して、そのまま逃げ切って勝ったんだ。
 あの時の巣山を見て感じたことを、実は誰にも言っていない。言いたくて、言いたくて仕方なかったんだけど・・・言ってない。
「絶対、誰にも言わない・・・?」
 言いたい、けど・・・言えない。聞いて欲しいけど、誰にも言えなかった。
 ちょっと、恥ずかしいから。
 でも、この子にならいいかな、なんて思って。

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