百花の中でもひと際目を引く白い薔薇は、他の花々のように闇に沈むことをもなく闇に咲き誇る。
 まるで、その美しさで闇さえも凌駕するかのようだ。

病める薔薇 2


 和己は、魅せられたかのようにふらふらと大輪の白い花へと近づいていく。ぐちゃりと、途中泥濘に足を突っ込んでしまったがそれすら気にならなかった。夢と現の境目を渡っているかのような心地だ。
 和己は、手を伸ばせば触れられるところまで薔薇に近づいて・・・少し躊躇った。
白い薔薇を十数年も前に貰ったことがある。ひとから、花を貰ったことなど後にも先にもあれきりだ。
目の前に咲く花は、あの日の薔薇を髣髴させる。
和己よりも、一尺も低いところから背伸びをしながら差し出された見事な大輪の白薔薇。
『オレが大人になったら、和さん、オレの花嫁さんになって』
 幼い顔に、とても真剣な表情を浮かべていた。
 告白を受けたことなどない和己は一瞬面食らって、差し出された花を受け取って良いかどうか酷く悩んだ。
 馬鹿馬鹿しいことだ。まだ、十にもならない年端もゆかぬ子供の戯言だっただろうに、真に受けるなどと。
 でも、一生懸命に白い薔薇を差し出す黒々とした夢深き瞳に和己の心はざわめいた。
 おどおどと受け取って、薔薇の茎の部分に湿り気とも滑り気いえぬ感触がした。見てみると、驚いたことに白い薔薇の深緑の茎はまだらに紅く染まっていた。
 薔薇を持っていた子供のちいさくてやわらかな掌が、薔薇の棘でいくつもの傷を作り血を流していたからだ。細かな棘が、その皮膚の下に喰い込み入り込んでしまっている。
 和己よりもふたまわりも小さな掌が、無残にも血にまみれていたのを今でもはっきりと思い出すことが出来る。
 薔薇の花を、手折ったのだと言った。花屋敷ともてはやされる高瀬邸の庭の中でも、最も美しい花を和己に贈りたくて、素手で棘のある蔓から花を摘んだのだ。
 思わず幼い高瀬家の御曹司を抱きしめた。両膝をつき、両腕にすっぽりと収まる小さな体を胸に抱いた。そして、皮膚に刺さった棘を針で薄皮膚を軽く破って、そこに口をつけて吸い出し、和己は丁寧にひとつずつ取り去った。
 秘め事、といってもいい古き日の思い出は今も和己の胸の奥にそっとしまってある。
 この家の御曹司を抱きしめたのは・・・この一度きりだった。


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